その「理由」、本当に必要ですか?

講読している地方紙のオピニオン面に、小学生から大学生までさまざまな若者が投稿した文章を載せるコーナーがあります。子どもたちや青年たちが自分自身の言葉で社会に思いを発信している様子を見て立派だなと感心する反面、時にどうしても気になってしまう文章を見ることがあります。しかも、目につくほどに、たびたびと。

それらは、たいてい次のような段落構成によって組み立てられています。

  • ① 序論のようなもの(話題の切り出し)
  • ② 意見の提示
  • ③ 意見に対する第一の理由
  • ④ 意見に対する第二の理由
  • ⑤ 反対意見の想定とそれに対する反論
  • ⑥ 結び

多少の変種も見られますが、おしなべて以上の六つの段落から構成されています。構成がほぼ一様ですし、特有の表現スタイル(②段落の末尾で必ず「…というのがわたし/ぼくの意見だ。」と述べるなど)があるので、「ああ、またこのタイプか」とすぐに気が付きます。

これらの文章は同一の筆者によるものではありません。特に小5~小6くらいの子が多いようには思いますが、様々な学年の様々な子がこの構成で文章を書いています。

ただ、名前と学年とともに記されている、筆者のお住まいの地域を見てみると、特定のエリアに偏っているようには思います。もしかしたら、そのエリアの小学校で推奨されている書き方なのかもしれませんし、あるいは、そのエリアで店舗展開なさっている作文教室か何かのメソッドなのかもしれません。

型によって破綻する文章

このような段落構成をとることは決して否定しませんし、一般的に文章の型を学ぶこと自体がすなわち毒であるとも言い切れません。実際、この型が功を奏して、実に論理的な文章に仕上がっているものもたまに見られます。しかし、やはり多くの文章が、この型のせいで台無しになってしまっているように感じます。

「型にあてはめること」が目的化されてしまって、内容に破綻をきたしてしまっている文章が多くみられるのです。たとえば、③④段落に述べてある「二つの理由」が内容上は同一のものになっているというケースとか、①段落において理由に当たることをすでに述べてしまっているために、③④段落の内容がその焼き増しになっているか、あるいは矛盾しているケースとか。

また、②段落に述べられている意見に対して、③④段落に述べられている内容が理由として成立していないケースもあります。さらには、②段落に述べられているのが、「意見」というより単なる自分自身の実感とか一般的な真理であるため、そもそも理由など必要ないケースもあります。この場合、③④段落には無理に「理由」をこしらえていれることになるので、かなり苦しい文脈になってしまいます。

おそらく、子どもたちは「自分の発信したいことを型に沿って書く」というより、「型から何を書くかを考える」という方向性で作文してしまうのでしょう。本当は理由を述べることが効果的ではない文脈なのに、③④段落には「理由」をいれることになっているからそれっぽいことを書く。本当は一つの理由しか存在しないのに、二つの理由をいれることになっているから無理やり二つ目を考える。こんなふうになってしまい、内容上統一性を欠いた文章ができてしまうのだと思われます。

型を与えるだけではだめ

そもそも、子どもにとって、「理由を特定する」というのはなかなか難しい行為であるようです(だから読解問題にも理由を探す問題が出されるわけです)。「その理由は…だ」とか「なぜなら…からだ」といった、理由を述べる構文のなかに、実質的には理由にはなっていない事柄が落とし込まれていても、あまり違和感を抱かないことが多々あるものです。だから、理由に関する構文を上手く扱えなくても、それだけでその子の思考力が著しく劣っていると考える必要はないでしょう。

それよりも心配なのは、こうした作文の内容の不備を周りの大人がきちんと指摘するなり正すなりしているのかどうかということです。もし今回とりあげた型を推奨する学校の先生や作文教室の先生がいらっしゃるとすれば、「この通りに書いていけば上手くいくよ」などと、万能な型のように吹聴なさっていないでしょうか。そうであってほしくないと切に思います。

種の生徒たちにも、全く理由になっていない事柄なのに「なぜなら」をつけて書き出す子が多くいます。たとえば最近、「きっかけ」にあたる内容を、理由を述べる形式にあてはめてしまった生徒がいました。

しかし、それ自体は良いのです。学びの機会になるのですから。その錯誤を講師に指摘され考え直すことが、「きっかけ」という概念と「理由」という概念の弁別を学ぶ機会になるかもしれません。そして、このような機会が、言葉を適切に扱う力や、文章を読解する力の養成に繋がっていくと思うのです。

ロジカルシンキング教育の本末転倒

むやみに「なぜなら」を多用する一人の生徒から、こんな言葉を聞いたことがあります。

「学校の先生が『なぜなら』をいれなさいって言ってた。」

ロジカルシンキングやロジカルライティングといった考え方の重要性が声高に言われるようになって久しいいま、何かを主張したり説明したりするときに理由や根拠を述べることの大切さを子どもに教えるのは、決して悪いことではないでしょう。しかし、その本末をわきまえなければならないのです。

「なぜなら」の構文を入れれば論理的な文章ができるのではありません。まずそこに入れる中身があって、そのつぎにそれを納めるための構文があるのです。その順序をわきまえず、中身の吟味が欠如した、構文ありきの指導がもしなされているとすれば、そこには何の益もありません。

(山分大史)

2019年09月19日 | Posted in コラム | タグ: , , , No Comments » 

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