お題:「義務」

ある小学5年生の書いた文章を二つご紹介します。

「虫がいい」「義務」というお題のもとで作文をしてもらいました。お題に沿った内容であれば、文章のジャンルは問わず、またお題のワードを文中に使っても、使わなくてもよしという条件で書いてもらいました。結果として、彼は結びの部分にお題の言葉をすえた物語文を仕上げてくれました。


「虫がいい」の方はわずかに添削をしましたが、「義務」の方には全く手をだしていません。彼の書きおろしのままです。なかなかのものだと思います。

特に目に留まったのが、「ふとあることが気になった。洋介の両親がいつもいない気がするのだ」というところ。ポイントは「…のだ」という文末表現です。つつましくもきちんと存在感を発揮している、美しい「のだ」です。あつかい方をきちんとわきまえていると感じます。

手放しで書かせて、こんなにしっかりした文体で書き上げられる子はなかなかいないものです。よくここまで成長したと感服するばかりです。

「義務」の対義語って?

ところで、少し話がそれますが、「義務」の対義語は何でしょう?一般的には、「権利」が正解ですね。

以前ある生徒(上の生徒とは別の生徒です)から聞いたのですが、学校のテストでそういう問題が出たときに、「自由」と答えて不正解になってしまったそうです。その子いわく、同じように答えた同級生も多かったとか。

「自由」と答えてしまう気持ちも、とてもよく分かります。「何か自分に課されているものを行わなければならない」というイメージで「義務」という言葉を理解すると、「自分の意志の通りに何でもできる状態」という「自由」がそれに対する言葉のように見えますからね。しかも、そうした言葉の理解で大きくまちがっているということは全然ないわけです。「義務」と「自由」は確かに正反対の意味を持っているように見えます。

義務と権利は表裏一体(ひょうりいったい)

「義務」と「権利」という組み合わせ、これは対義語関係の問題の中でも特に分かりにくい組み合わせのうちの一つだと思います。これを理解するには、この二つの言葉が表裏一体の関係にあるということをおさえておくと良いのではないでしょうか。「義務」と「権利」は、そのどちらかが現れると、必ずもう一方も現れるという関係にあるのです。

何かを買いものをする場面を例として考えると良いでしょう。たとえば、気に入ったお家を見つけた種太郎さんが、その家を購入する契約書を不動産屋さんと交わしたとします。これで種太郎さんはその家を所有する権利を手に入れたわけです。しかしその一方で、不動産屋さんにお金を払う義務を負います。また、不動産屋さんの方は、種太郎さんにその家を契約書に決められた日までに引き渡す義務を負うことになると同時に、種太郎さんからお金を受け取る権利を手に入れたことになります。

このように、義務と権利は、どちらかが現れれば、もう一方も必ず現れるものなのです。ある一人の元に、義務と、それに対応する権利の両方が生じる場合もあれば、ある人に義務が生じたら、それに対応する権利が別の人の元に生じるという場合もありますが、いずれにしても表裏一体、切っても切れない関係です。

自由は必ずしも義務と関わるわけではない

では、こうした義務と権利の関係に、自由はどう関わるでしょうか。上の例でいえば、種太郎さんが家を購入するかどうかという段階に、種太郎さんの自由があると言えるでしょう。契約書を交わす前に家を買うか買わないか考えるのは、種太郎さんの自由ですね。その家で後悔はしないと確信できるなら買えばよし、「もっと良い家があるんじゃないか」と思うなら買わなければよし。

この段階の種太郎さん、つまり、家を買うか買わないかの判断を下していない種太郎さんに対して、不動産屋さんは何らかの義務を負うでしょうか。もちろん、負いませんね。迷っているお客さんに対して、数日間はその家を他の人には紹介しないでとっておくということはあるかもしれませんが、それはあくまで不動産屋さんのサービスであって、義務とは言えないでしょう。このように、何を選択してもよい自由な状態に対しては、それら各選択肢に関わる義務が発生することはありません。

権利も同じですね。種太郎さんが家を買うか買わないか、どちらの判断をしても良い段階ならば、当然種太郎さんは家を所有する権利を有していません。やはり、何を選択してもよい自由な状態にとどまっている段階では、選択肢に関わる特定の権利は得られないわけです。

このように、義務と権利の関係とちがって、自由はそこに必ずついてくるものではありません。「自由」という言葉は、「権利」ほど「義務」と密接な関係にあるとは言えないのです。

似ているけれども見分けるべき

ただし、わたしたちには自由に生きる権利が憲法によって保障されています。また、したがって他人の自由を尊重する義務をわたしたちは負っているともいえるでしょう。そう考えると、「家を買うか買わないか迷う自由」を持つのは種太郎さんの権利であり、その自由をさまたげないのは不動産屋さんの義務だとも言えます。ただ、これは少しレベルのちがう話で、これによって権利と義務と自由の三つが必ずセットになるということが示されるわけではありません。あくまで「自由というものに関する権利と義務」という話で、ここに示されるのはやはり権利と義務の表裏一体の関係です。

自由をうばうということは拘束・束縛・強制するということです。それは義務を負わせるということと同じではないでしょう。たとえば、不動産屋さんが、種太郎さんの「買うか買わないか迷う自由」を尊重せず、買うことを強制してきたら。もちろん、契約書を交わしていないのですから、種太郎さんはその強制に従う義務はありません。「強制」と「義務」。どちらも「~しなければならない」という意味合いをもつことは同じですが、決定的にちがう言葉なのです。

一方、自由と権利も一致(いっち)するわけではありません。確かに、人は自由に生きる権利がありますが、かといって(というか、だからこそ)他の人の自由をうばう権利は持たないのです。たとえば、種太郎さんが自分の自由を拡張して「家を買うか買わないか迷うのはおれの自由なんだ!この権利を守るために、おれが答えを決めるまでこの家は売るな!」と不動産屋さんに強くせまってもよいでしょうか。他のお客さんにその家を紹介するという不動産屋さんの自由を認めないというのです。当然、種太郎さんにそんな権利はありませんね。

このように、強制や拘束状態といった不自由と義務が一致するわけでも、自由と権利が一致するわけでもありません。そう考えると、「自由」が「義務」の対義語でなく、「権利」の類義語でもないことに納得がいくでしょう。

今回ご紹介した五年生が書いてくれた物語でいえば、洋介の両親が遊びほうけるのは彼らの自由であり、だれ一人その権利をさまたげることはできません。しかし、だからといって、息子である洋介に迷惑をかける権利が彼らにあるわけではないのです。洋介をしっかり育て養うことは親としての義務でしょう。両親はその義務を果たさなければなりません(まあ、洋介自身はあまり気にしている様子でなく、迷惑をこうむっている感じがしませんが)。

義務を負うことを不自由だとみなすのもちがいますし、権利と自由をはきちがえてもいけないのです。

2018年11月27日 | Posted in コラム | | No Comments » 

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