主語と述語、述語と主語

文の成分として大切な主語と述語。文を分かりやすくするためには、なくてはならないものです。

とはいえ、必ずしもこの二つがそろっていなくては文が成り立たないというわけではありません。たとえば、この文章の一文目は、あえて述語のない文にしてみました。述語がないので、主語といえる身分のものもありません。述語もなく、またそれによって何らかの陳述をなされるところの主語もない、いうなれば、単に題目を挙げているだけの文です。

ただし、こうした主語述語構造のない題目提示のみの文は、他の文の存在によって補われないと、何を述べているのかはっきりしません。「主語と述語。」とだけ言われても、「で、それがどうしたの?」と尋ねたくなります。その意味では、独立自存していない不完全な文だと言えるかもしれません。

述語と主語の序列

一人前の文であるためには、やはり「何なのか」や「どうしたのか」の部分、つまり述語は最低限備えていなければならないのでしょう。述語は、きちんとした文を成すための非常に重要な成分であると言えそうです。

一方、主語はどうでしょうか。英語ならばいざ知らず、日本語において主語はかなり省略できます。実際、この文章のここまでのところを振り返ってチェックしてみてください。主語のない文が多数見られるでしょう。たとえば二文目。述語不在の文から書き出した上に、それに続く文では主語の省略を犯すなんて、けしからん書き手ですね!

ただ、意味が通じないほど文が崩壊しているかというと、そこまでではないはずです(…よね?)。 日本語の文では、主語の省略は日常茶飯事。それが内容伝達に致命的な問題を起こすとは限らないのです。そう考えると、主語と述語とでは、後者の方が文の構成にとって重要な存在であるように思えます。

だからでしょうか、日本語では、主語の位置は決まっていません。文の初めの文節は主語のための特等席ではないのです。「ハンバーグをぼくが食べた。」というように、第一文節が修飾語であっても良いのです。それに対して、述語は基本的に文末にきます。もちろん、「食べた、ぼくはハンバーグを。」とか、「ぼくは食べた、ハンバーグを。」という風に、述語を文末以外のところにおいた文も考えられますが、それは「倒置法」という特殊な表現技法を使った文とみなされます。日本語の基本的な文の形としては、述語は文末にあるものなのです。

「主語と述語」ではなく「述語と主語」

このように、日本語では主語と述語は対等ではありません。述語の方が特権的です。だから、この二つを生徒たちに教えるときに、 私は 「主語と述語」と言うのではなく、「述語と主語」と言いたいと心の中で思っています。述語の方が重要なので、そちらを前にした方が良いと思うのです。とはいえ、「主語と述語」という風に主語を前にした言い方のほうが一般的ですし、主語は前にあって述語は後にあるという文中の位置関係通りになるので、子どもたちにとってはその方が分かりやすいのかなとも思うので、実際には我慢しています。

ただ、たとえば与えられた文の主語と述語を当てる問題に取り組むときや、主語と述語がねじれた文を直させるときなどには、まず述語に注目するよう生徒たちに伝えています。それには、浮動的な主語よりも述語の方が特定しやすいという実践的な側面もありますが、日本語では述語を特権的なものとみなすべきという理論的な側面もあるわけです。

2018年12月23日 | Posted in コラム | タグ: , No Comments » 

関連記事