大学入学共通テストとセンター試験と詩と

12月17日、萩生田文部科学大臣より、大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の国語・数学で予定されていた記述問題が見送られるとの正式発表がありました。大変な紛糾を起こしてきた一連の出来事に一つの決着が与えられた感がありますが、とはいえまだ万事が解消されたというわけではありません。

残っている疑問や不明点は様々にありますが、その一つに、共通テストの出題内容が結局どうなるのかはまだ決まっていないということが挙げられます。大学入試センターのホームページにて、今回の記述式問題見送りに関するセンター理事長のコメントを見ることができますが、そこには「国語及び数学の問題構成や試験時間、配点などをどのように取り扱うかについて、早急に専門家による検討を行い、できる限り速やかに方針をお示しいたします」と述べられています。記述式問題が廃止されることで、当然問題構成も変わりますし、試験時間も再検討されるでしょう。これまでは、文部科学省が出してきたモデル問題やプレテスト、あるいはそれらを元に予備校や教材出版社等が作成した予想問題集などを参照して、新テストの傾向に対する準備をすることができました。しかし、ここにきて全てがいったんリセットされてしまい、受験生にしてみれば何がどう出るかわからない状況に再び還ってしまったのです。

センター試験と共通テストの本質的ちがい

なお、英語の外部試験採用や記述式問題導入が各メディアによって大学入試改革の本丸であるかのようにあつかわれているため、もしかしたら、これらが撤廃されたことにより、テスト改革自体が骨抜きになり、元のセンター試験と何ら変わらないテストになるかのように思ってしまう方がいるかもしれません。しかし全くそうではありません。共通テストから英語の外部試験や記述問題を引き算すればすなわちセンター試験になるというものではないのです。

では、センター試験と共通テストとでは、英語の外部試験採用や記述式問題導入の二つ以外にどのようなちがいがあるのでしょうか。ここは国語専門の教室ですので、国語科に関することだけをお話しますが、これまでのモデル問題やプレテストでは、まず契約書や生徒会活動規約、法律の条文といった実用的な文章が扱われる問題がありました。また、二つ以上の文章が題材となったり、あるいは一つの文章とその内容に関わる図表が添えられていたりして、それら複数のテキストを横断した内容を問う問題がありました。こうした出題は、これまでセンター試験にあったものとは一線を画します。そういった新要素が保たれる限り、それはやはりセンター試験とは異なる新しいテストだということになるでしょう。再来年の試験内容がそうなるのか否か(あるいは、どの程度そうなるのか)、大学入試センターの方針発表を待つ必要があります。

詩の出題が与えた衝撃

なお、このような新傾向の中で、特に注目したいのが詩の出題です。平成30年(2018年)に行われたプレテストでは、第三問に、詩と、その作者が書いたエッセイの二つのテキストが題材となる問題がありました。まず、詩が出題されるということそのものが画期的な事態です。センター試験で出題される文学的文章といえば小説と決まっており、詩が題材となることは全くありませんでした。そのため、センター試験現代文の対策としては、詩の鑑賞を手厚く学習する必要は皆無だったのです。そもそもセンター試験に限らず国公立大の二次試験や私立大の試験の中でも、詩の出題は極めて少数でしょう。「詩など勉強するものではない」という認識が大勢だったわけです(別の意味ではそれこそ真理なのかもしれませんが)。

そのような中で詩の出題があり得ることが示されたということは、少なくとも私にはなかなか衝撃的なことでした。大学受験生向けの現代文の参考書に、詩をはじめ韻文を十分に扱っているようなものがあっただろうか、そのような教材があることは寡聞にして知りません。さあどうしたものか、というのがこのプレテストを初めに見たときに湧いてきた思いでした。

ただ、そのときには、こうした戸惑いの気持ちばかりがあったわけでもありませんでした。これが新しいテストか、と感慨深くも思ったのです。題材となっていた詩は、人の移ろいゆく思いと、紙に書き留められたことによって永続性を得られた言葉を題材に、無常と不変の対照について黙想する哲学的な内容の作品でした。また、それに添えられていた同作者によるエッセイは、芸術の創作を、有為転変する現実世界から不滅なるものを結実させようとする行為としてとらえたもので、前掲の詩と並べられることで共鳴するような内容になっていました。そして、この二つのテキストを題材として用意された各設問は、それらの価値を台無しにしてしまうようなものでないばかりか、その鑑賞を深めさせてくれるようなものになっていたのです。与えられた選択肢の中から正解を選ぶ過程を通じて、受験者は詩とエッセイそれぞれにある言葉を吟味し、作者の象徴的な語りに込められた思想を考えることになります。これは、単に本文と選択肢の内容上の異同を確かめるのとはちがう、より能動的な思考です。こうした設問のあり方には、複数のテキストを題材にするという、従来のセンター試験にはなかった形式も一役買っていると言えるでしょう。センター試験からのパラダイムシフトを強く感じる出題だったと思います。

「文学軽視」なんて、全然そうではないのでは?

こうした問題を十分に正解できるようになるためには、やはり日頃から少しでも詩歌・短歌・俳句など象徴的な言葉で綴られる文芸作品の鑑賞に慣れておく必要があるでしょう。それは、これまでのいわゆる「受験勉強」ではまったく顧みられなかったことです。こうした「勉強」を必要とする設問がプレテストに据えられたということからは、これからの学生たちにはそういうことが教養としてきちんとできるようになってもらいたいという、文科省の思惑を垣間見ることができるでしょう。

なお、世の様々な識者たちから挙げられている共通テスト批判の中に、「高校教育から文学がなくなってしまう」というのをよく聞きます。大学入試改革が、実用的な読みばかりを重視して文学の教育をなおざりにさせてしまう「改悪」だというわけです。この考えはやや的外れではないかと私は思っています。以上にとりあげた詩の問題を見れば明らかでしょう。文学軽視の方向性で文科省が動いていたのだとしたら、きっとこのような問題は作られなかったはずです。むしろ、私はこの問題を見たとき、これまでよりも深く文学的感性・素養が問われようとしていること、そして高校までの教育においてその部分をきちんとフォローできるか否かが今後さらに重要になることを感じました。 実用的文章の出題に関して文科省に批判されるべき点があるならば、それは教育現場にまだその準備ができていない時点にも関わらず、実用的文章の読み込みから文芸作品のディープな鑑賞まですべてを一気に盛り込もうとした、欲張りすぎの姿勢であるはずです。

厄介ではあるけれど…ぶれないでほしい

とはいえ、記述問題が撤廃された現在の動きをふまえれば、この詩の出題もどうなっていくことかわからなくなってしまいました。しかし、私はこの方向性はぜひぶれないで保っていただきたいと思っています。いや、厳密に言えば、このような教室で学生たちに国語を教えることを生業としている立場としては、正直言って「こんな今までとちがうものを一体どうしたらいいのか、かなり厄介だ」と頭をかかえているのです。しかし、その一方で、国語教育に携わり、純粋にその深化と発展を日々願っている人間の一人としては、あの詩の問題によって示されている方向性は是であり、それに関してはいたずらに弱腰になってほしくないと思っているというわけです。

いずれにせよ、文科省と大学入試センターができる限り早く方針を決めることを願ってやみません。 私たちはしっかりとその動向を見守っていきましょう。

(山分大史)

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