「好き」に対する「理由」を書くということ
いま作品募集をしている種文学賞、小学3〜4年生の部は「お気に入りの場所」というお題で、生徒たちに作文に取り組んでもらっています。
こういう、自分の気に入っているものや好きなものについて子どもたちに書いてもらうとき、いつも気になることがあります。
それは、子どもたちがすぐに理由を書こうとすることです。「わたしは〜が好きです」などのかたちで自分が何を好きなのかを伝える文を書いたあと、多くの子がきまって、それに続く文を「なぜかというと」とか、「理由は」というふうに書き出して、好きであることに対する理由を書こうとするのです。
しかしながら、ほとんどの作文はそれで上手くいっていません。「なぜかというと」や「理由は」に続く部分が、理由になっていないのです。「理由ではないこと」を、「理由を語る形式」で語るため、筋の通らない文脈になってしまうのです。
「理由を書くこと」をめぐる物語
なぜ理由を書くことで文脈が破綻するのでしょうか。それは、そもそも「好き」という思いは「理由」というものと噛み合わないということに原因があるとわたしは見ています。
これまで多くの生徒が「理由」というものを上手くあつかえていないのを見てきて、そこから考えてきたことを一つの物語にして表現したことがあります。
今回の種文学賞で、また「理由」のせいで錯綜する生徒の作文を目にすることが増えましたので、改めてこの物語をここで見ていただけるようにしたいと思いました。
ある少年とその姉による、夏休みの一日に起こった「理由」をめぐる攻防戦。よろしければご笑覧ください。



(山分大史)